大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)51号 判決

原告 松本高典

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和五二年審判第六二一一号事件について昭和五四年二月一六日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

(原告)

請求原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五〇年八月九日、別紙第一に記載のとおり「JAX」の欧文字を横書きにして成る商標(以下、「本願商標」という。)につき、第一二類「輸送機械器具、その部品及び附属品(他の類に属するものを除く。)」を指定商品として商標登録出願をしたところ、拒絶の査定を受けたので、昭和五二年五月六日審判を請求した。この請求は昭和五二年審判第六二一一号事件として審理されたが、昭和五四年二月一六日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下、「本件審決」という。)があり、その謄本は同年三月一〇日原告に送達された。

二  本件審決の理由の要点

本願商標の構成及び指定商品は前項に記載のとおりであるが、昭和四四年五月一二日出願にかかる登録第一〇二三五一六号商標(以下、「引用商標」という。)は、別紙第二に記載のとおり、「ジヤツク」の片仮名文字を横書きにして成り、第一二類「輸送機械器具、その部品及び附属品(自動車及び他の類に属するものを除く。)」を指定商品とし、昭和四八年七月三〇日登録されたものである。

本願商標は「JAX」の欧文字より成るものであるから「ジヤツクス」の称呼を生ずるということができる。

他方、引用商標は、「ジヤツク」の片仮名文字を同一書体、同一大で横書きにして成るものではあるが、該文字は、これをその表記どおりに「ジ」「ヤ」「ツ」「ク」と読むことにより、これが一般に親しまれている語を想起させるといつたような事由を見出し難いものであること及び「ジヤツク」とその構成文字を同じくする「ジャック」の文字が、兵士の絵を画いたトランプの絵札を意味する語として一般に親しまれていること等を勘案すれば、「ジヤツク」の文字より成る引用商標に接する取引者、需要者は、これから直ちに親しまれている語「ジャック」を想起し、これを「ジャック」と読む場合がむしろ多いとみるのが経験則上相当であつて、引用商標は「ジャック」の称呼を生ずる。

そこで、「ジャックス」と「ジャック」の称呼を比較すると、両称呼は、「ジャック」の音を共通にし、異なるところは、前者の末尾音「ス」の有無だけである。そして、前者の末尾音「ス」は、「ジャック」の音に軽く添える程度に発音される上、その発音において比較的明確さを欠く末尾に位置するものであるから、該音の有無が称呼全体に及ぼす影響は僅かなものというべく、両称呼は、それぞれ全体として称呼したときは、彼此誤つて聴取されるおそれがあるとみるのが相当である。

そうすれば、両商標は、称呼において紛らわしい類似の商標というべきものであるし、引用商標の指定商品は本願商標の指定商品に包含されているから、本願商標は、商標法第四条第一項第一一号の規定に該当し、登録することのできないものである。

三  本件審決の取消事由

1 商標の類否

本願商標は、「JAX」の欧文字三字から成るもので、これを英語風に読んだとき生ずる発音は「ジヤクス」である。

引用商標は、「ジ」「ヤ」「ツ」「ク」の四文字が同一書体で同一大で示される構成から成つているから、その称呼は表記どおりの「ジ」「ヤ」「ツ」「ク」であり、それ以外は考えられない。「ジヤツク」を「ジャック」と読むのは誤読であつて、小学校でもかかる誤読をしないように教育されている。

しかるに、審決は、引用商標「ジヤツク」から「ジャック」の称呼を生ずると認定しているのであつて、独断的な誤読に基づく誤りである。

右のように、本願商標は「ジャクス」の称呼を有するのに対し、引用商標は「ジ」「ヤ」「ツ」「ク」の称呼を有している。そして、前者は「ジャ」「ク」「ス」の三音から成るように発音され、後者は「ジ」「ヤ」「ツ」「ク」の四音から成るように発音されるものであり、かつ、それぞれ構成し順次対照さるべき各音(なお、後者の「ク」に対応する前者の音はない。)も著しく相異するのであるから、両商標は称呼上非類似である。

両商標が外観上非類似であることは特に説明を要しないところであり、また、観念上の点においては、両者とも特別の観念を有しないもので、非類似であることは明らかである。

2 指定商品の類否

原告は、昭和五四年七月四日、特許庁に「指定商品一部放棄書」を提出して、本願商標の指定商品中、「船舶、航空機、鉄道車両、自転車、その他の輸送機械器具、それらの部品及び附属品並びに自動車のタイヤ、チユーブ」を放棄した。この放棄によつて、本願商標の指定商品は、「自動車、その部品及び附属品(自動車のタイヤ、チユーブ及び他の類に属するものを除く。)」に縮限された。

本願商標の指定商品は右のように縮限されたのであるが、これを引用商標の指定商品と対比すれば、本願商標の指定商品中には引用商標の指定商品及びその類似商品は包含されなくなつた。

3 以上の事由により、本願商標と商標法第四条第一項第一一号の規定に該当するとした本件審決は違法であり、取消を免れない。

(被告)

請求原因の認否と主張

一  請求原因一、二の事実は認める。

二  請求原因三の1について

その主張は争う。原告の主張は失当であり、審決の判断は正当である。その理由は、前記「本件審決の理由の要点」に記載のとおりである。

三  請求原因三の2について

その主張の日に原告から指定商品の一部放棄書が提出されたことは認めるが、その余の部分は争う。

審決取消訴訟は、審決時における出願の内容を標準として、審決の当否を争うものであるから、審決時には判断しえなかつた事態が審決後に生じたとしても、これが審決になんらの影響を及ぼすものでないことは明らかである。

ところで、本願について指定商品の一部放棄書が提出されたのは昭和五四年七月四日であつて、審判における審決がされた後であるから、この放棄は、審決の判断になんら影響を及ぼすものではない。

(原告)

被告の「請求原因の認否と主張」の三について

一  放棄の遡及効

商標登録出願が先願にかかる商標との関係において、もしくは先願にかかる登録商標との関係において、登録要件の存否が決る場合においては、当該出願の一部が放棄され、取下げられ、もしくは無効にされ、また、先出願の全部又は一部が放棄され、取下げられ、もしくは無効にされ、あるいは先出願について査定もしくは審決が確定するという事態が発生したときは、当該出願もしくは先出願は初めからなかつたものとみなすのが商標法の基本的な構造を形成する理念であると解せられる。すなわち、商標法は、審査さるべき当該出願もしくはその出願の障碍として引合いに出された先出願に一時的に登録の障碍となる事由が存在したとしても、その障碍事由を可及的に限定し、出願の有効性を確保することを意図しているのであつて、この理は、元来商標制度は商品の出所表示機能を商標に求め、その機能を果すものである限り可及的に出願の有効性を確保し商標権を付与する途を選んでいるのであつて、いたずらに出願を排斥することを無用のこととしていることに基づいている。このような商標法の基本理念は同法第八条第三項の規定に現われている。

このような商標法の基本理念からすれば(形式的には、同法第八条第三項の規定の類推解釈により)、商標登録の出願が先願にかかる登録商標との対比によつて登録要件の存否が左右される場合において、当該出願の放棄(一部の放棄)のもたらす効果については遡及効を有すると解すべきものである。

したがつて、原告が昭和五四年七月四日特許庁に申出た指定商品の一部放棄は、その商品の限度において出願は初めからなかつたものとするものであつて、結局、本件審決は違法となるを免れないのである。被告の主張は、本件の場合には妥当しないものである。

二  判断の基準時

商標登録の出願について、登録を許すべきかどうかの判断は、登録時を基準にして判断されるのであつて、審査においては査定の時であり、拒絶査定に対する審判においては審決の時が基準となる。しかして、拒絶を相当とする審決に対する取消訴訟において、当該出願につき登録を許すべきかどうかの判断は、判決後の特許庁の再審理の時点、すなわち登録時に持越されているのであるから、取消訴訟においては当該口頭弁論の終結の時点において審決の当否の判断をすべきこととなると解するのが正当である。そのように解しなければ、登録要件を具備した出願を排斥する結果となつて不当である。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因一、二の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の取消事由の有無について検討する。

原告が、本件審決がされた昭和五四年二月一六日の後である同年七月四日、特許庁に対し本願商標の登録出願につき「指定商品の一部放棄書」を提出したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五号証によれば、右放棄書には、右登録出願につき、その指定商品のうち「船舶、航空機、鉄道車輛、自転車、その他の輸送機械器具、それらの部品及び附属品並びに自動車のタイヤ、チユーブ」(以下、「放棄商品」という。)の商品を放棄すると記載されていることが認められる。

そうすれば、本願商標の指定商品は、右指定商品の一部放棄により、出願の当初に遡つて、放棄商品以外の残余の商品に減縮されたものと解するのが相当である。何故ならば、商標登録出願は、商標の使用をする一又は二以上の商品を指定して商標ごとにされるもので(商標法第六条第一項)、商標登録出願の分割(同法第一〇条)のない限り一個の出願と観念されるものではあるが、ここに指定商品の一部放棄とは、出願当初の指定商品が二以上ある場合に、その一部を除外して、残余の商品に指定商品を減縮する行為と認められるところ、商標登録出願は一定の指定商品について商標の登録を求める出願人によつてされるものであり、指定商品を二以上とするか否かは出願人の選択に任せられていて二以上の指定商品は可分のものであるから、一個の出願においても、その出願についての査定又は審決が確定するまでの間は、いわゆる指定商品の一部放棄として、出願人が二以上の指定商品をその一部に減縮することは可能であり、この場合、一個の出願についてされる指定商品の減縮は、除外される商品については、他に法律的関係の存在を主張する意図は全く認められないので(商標登録出願の放棄についてさえ、他の出願との法律的関係が問題とされる最も典型的な場合である先後願の関係において、商標法第八条第三項は、その出願が初めからなかつたものとみなす旨その遡及的消滅を規定しているほどである。)、当初の指定商品の一部を出願の時点に遡つて撤回する意思表示であると解するのが相当であり、出願の当初に遡つて減縮の効果を生ずるからである。

被告は、審決取消訴訟における違法性判断の基準時は審決時点であるから、審決後に生じた原告の指定商品一部放棄の行為は審決の判断になんら影響を及ぼすものではない、と主張するけれども、前示のとおり、本件の指定商品の一部放棄は審決後になされたものとはいえ、出願の当初に遡つて指定商品減縮の効果を生ずるものであるから、採用できない。

前示争いのない事実及び前掲甲第五号証並びに弁論の全趣旨によれば、本願商標の指定商品は、「自動車、その部品及び附属品(自動車のタイヤ、チユーブ及び他の類に属するものを除く。)」に減縮され、引用商標の指定商品は、「輸送機械器具その部品及び附属品(自動車及び他の類に属するものを除く。)」であることが明らかであるところ、被告は、本願商標の残存する指定商品と引用商標の指定商品との類似について、何ら主張立証していないから、結局、両商標の指定商品間における同一又は類似の関係は解消されたものといわねばならない。

したがつて、引用商標との対比において、本願商標を商標法第四条第一項第一一号に該当するとした審決の判断は、その余の取消事由について判断するまでもなく誤りであり、審決は、違法として取消を免れない。

三  以上のとおり、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒木秀一 藤井俊彦 杉山伸顕)

別紙

第一

第二

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例